7の月26夜☽変わらぬ愛への欲求

時の試練に耐えられるほど

我慢強い愛はあるのでしょうか?

ゆるしに満ち、涙を超えて癒せる心があるのでしょうか?

試練も情熱も

同様の恵みとして迎え入れられる

恋人はいるのでしょうか?

 

誰の心もそれを問い、

どんな人もそんな恐れを感じています。

尊敬、信頼、そして親愛。

崇められる愛を求めて。

それは変わらぬ愛?

それとも時が経てば

消えてしまうのでしょうか?

可能性は私たちのもの。

私たちの心が我慢強ければ。

 

 

誰もが人間関係を通して、学び成長するチャンスを与えられています。この関係は自分対自身に始まり、伴侶、そして家族へと広がります。そこから、関係の輪は友達、同僚、すべての人間、そしてこの星、宇宙へと広がります。この成長過程の鍵は柔軟に積極的に成長することです。思いやりがある限り、愛は続きます。それが最初の意図とは異なる方向に発展することにいなっても、それはそれで成長です。今日、あなたの心で愛の永遠の炎はどう育っていますか?

 

 

 

 

 

7の月25夜☽愛と親愛

婚礼の準備が進み、部族全員が祝宴のご馳走を整え、儀式の輪を清め、最高の礼装に着替えていました。火を共に跳ぶカップルは誰にも愛されていたので、楽しい祝賀でした。

 

ついにカップルが共に火に近づくときが来ました。聖人はふたりがお互いや社会にもつ愛を認識して、微笑みました。新郎新婦は家族の支援に対して、親愛のこもった感謝の言葉を述べました。そして順番にお互いとの調和への慕情の誓いを述べました。そして一緒に火を飛び越え、お互いの内に燃える永遠なる愛の炎をひとつにしました。

 

聖人はその夜、小屋に帰ってその日の出来事を振り返りました。ひとつの想いが繰り返しよみがえり、物思いにふけりました。彼らはそれぞれの親愛の言葉を語り、通常の誓いと制約を述べただけでした。なのに、今日のカップルがしたことは誰もこれまでしなかったことなのです。彼らの目はお互いへの愛に輝いていましたが、このカップルのどこがそんなに違うのだろう?

 

砂漠の雷のように突然、聖人はひらめいて悟りました。このカップルはふたりの愛にあるメディスを部族に誓うことで、その愛の強さを人々と分かち合ったのです。

 

 

 

 

7の月24夜☽愛の乱用?

母系のネイティブ・アメリカンの部族では、かつては女性が結婚の毛布を引き裂き、夫の着物や狩りの道具と一緒に小屋の外に出せば、問答無用で結婚関係は終わりでした。離婚訴訟も暴力沙汰になる心配もありませんでした。

 

今では事態はもうちょっと複雑です。子供の親権、金銭的支援、家、友や家族から感情的な支えが得られないことへの恐れなど、問題は多いのです。

 

家庭内のいじめは許せない現代の病ですが、残念ながらしばしば見受けられます。こうした状況に終止符を打つのは、「もうこれまで」と言える自分への愛です。暴力的なふるまいを許すごとに自分自身を(ときには他人も)危険に陥れているのだと認識しなければなりません。決断の結果を恐れて何もしないでいるのは、いじめを許すことにしかなりません。選択の意味をはかりにかけるべきなのです。

 

誰もが、愛、尊厳、いじめのない人生に値することを認識するべきです。それ以下で妥協したら、自己否定、自己嫌悪、わけもない否定的な気持ちに揺れることになります。いじめのパターンを破る決心をすれば、そのたびごとに、自身を愛する能力を獲得できます。

 

 

あなたや他人へのいじめにノーと言えるほど、自分自身を愛することはできますか?

 

あなたの人生がいじめ知らずなら、その恵みに感謝し、他人のために勇気の癒しの手本になれますか?

 

いじめは今や家庭内だけではなく、とても複雑な問題へと化していますが、いじめだけではなく疲れてしまった人も、まず愛をもって自分自身を奮い立たせ、地球に生まれた肉体と魂を蔑まないで、もっと別の素晴らしい世界があることを知ってほしいです。

 

いっきに世界は変えられる。