9の月21夜☽時はどこで生きるの?

9TH MOON 自然を尊ぶ

小さな少年が祖父の膝に座り、馬の毛を親指にぐるぐる巻いていました。パイプに詰めるためのタバコを混ぜていた祖父は目を上げて、少年が不満そうにしているのに気づきました。

 

ついに少年は口を開きました。

 

「従兄弟の大きな熊ほど背が高くなるには、いくつ月を越せばいいの?お祖父さま。」

 

「そうだな、お前が生きた月の2倍ほどだろう。なぜ聞くのかい?」

 

「子馬に乗って狩りに出たいんだ。お祖父さま、僕には時を早めることができないみたい。時を訪ねてお願いしてみようかな。」

 

祖父はおなかを抱えて笑いたくなるのを必死でこらえ、できる限り威厳をもたせて語りました。

 

「私たちには時の住み処が見つからないのだ。時は抑え込むことも先に押し出すこともできない。私たち2つ足には過ぎる季節の尊重を学ぶ務めがあるのだ。人生のどんな瞬間も、どんな出来事も、大切に聖なるものとして扱うことが求められているのだ。今日の満足を忘れたら、喜びを運んでくれる明日は決して来ないのだよ。」

 

そして少年の心臓を指さして言いました。

 

「この日の喜びが生きるところを見つけようではないか。そうすれば、お前たち若者みんなの人生の明日まで続く幸せが見つかるだろう。」

 

 

 

 

 

9の月20夜☽真実を生きる

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自己欺瞞の怪しい報酬は、

自身を欺く手による滅亡です。

 

 

真実に生きることから自分自身を疎外させてしまえば、とてつもない寂しさに襲われます。長い間自分を欺き過ぎたために、鏡に映る顔がもはや認識できなければ、帰郷への道は遥かです。

 

自分自身に正直であることを拒否すれば、精神的な堕落、無意味なことへの逃避が始まります。正当化の手段として小さな無垢の嘘をつくことを自分に許す人は多いのです。自信のなさを補おうと大きな嘘をつく人もたくさんいます。罰を恐れて嘘をつく人も多いのです。

 

どんな場合でも、自己欺瞞の手は生命力を食い尽くす幻想を作り出し、ついにはその人を破壊してしまいます。

 

真実に生きるには、まず自分自身に「自分に嘘をつくことをやめても大丈夫。真実を選ぶ自分を罰しない。進んで変わろうとする自分を私は尊重する。」と言い聞かせる決意が必要です。

 

 

 

 

9の月19夜☽食べ物を分ける

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祖先が最終や狩猟で食べ物を得ていた頃には、事前の計画がとても重要でした。冬は厳しかったので、寒い月の間の食べ物は前もって貯蔵しておかなければなりませんでした。そのてめに春と夏を使わなければ、多くの人が飢えたのです。

 

何世紀も、ネイティブ・アメリカンは食べ物の分かち合いを伝統してきました。食べ物を分かち合う行為には、多くの教訓があります。部族のすべてが満たされ、誰も飢えさせないことが尊重されました。誰が栽培したか、誰が集めたか、狩猟したか、きれいにしたかは問題ではありませんでした。食べ物は分け合うものだったのです。この分かち合いが部族の輪を強くしました。

 

創造主が誰もの必要を満たしたくれると信じることは、無私の分かち合いのひとつの教訓です。分かち合いが教えてくれるもうひとつの教訓は、食べ物が足りなくなったら、食べられる者と飢える者とに分かれるよりは、共に飢えの負担を分かち合うということです。自身やその直接の家族だけでなく全体を考慮することを学べば、聖なる分かち合いを心の糧とする精神の祝宴に参加したことになるのです。