6の月15夜☽平和の木

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白松の偉大なる枝が地上に影を落とし、キツツキがその平和の木を掃除していました。キツツキは木の幹の内側についた小さな虫を食べていました。平和の木にとって、虫に食われるのはわずらわしい体験でしたから、肌の内側に入り込んだ気味の悪い虫を片づけてもらうのは、気持ちのよいことでした。ときどき白松キツツキにこうした世話を頼む必要があったのです。

 

キツツキにとっては、友達の白松にたかるおいしい虫を食べるのは喜びでした。虫は、白松の注意力を奪うわずらいごと。その虫から、森の平和の保護者である白松を救うことで、彼は平和を守ってもいたのです。彼はその務めを自分の使命としました。今でも、キツツキの羽根はよくない影響の清めやお守りとして珍重されています。

 

6ばんめの月の巡りの地母神である語り部は、内なる安らぎから注意をそらしてしまう、私たち自身の肌の内側のわずらいごとを示してくれます。

私たちが他人を裁くのは、私たちが外側からの承認を必要としている裏返しです。否定的な見方や批判的な態度から自分を清め、焦点を移し、平和の木を師としましょう。

そうすることで、私たちは他人を不当に裁く否定的な態度から自分自身を守れます。あなた自身の内なる安らぎを再発見し守るために、清めるべきわずらいごとはありませんか?

 

 

古代インディアンのまさしく「教え」ですね。インディアン的に説かれています。他人に対して批判的にならず自分の内側を見よ、ということでしょうか?自分の役割を見極め全うせよ?・・・う~ん、深いかも。