7の月13夜☽愛の探求

青い雷、夜の雨が

ピラミッドからのこだまを伴い

私を再び故郷に返してくれます。

 

この魔法の山のなかに

私の一部は残り、

ほかの部分は名のない恋人を

探しに出かけます。

 

夢の領域の霧のなかで

彼の思い出を私は探し求めます。

彼の腕は強く、彼の心は大胆に

私を休息に運ぶのです。

 

心のなかでは古代の炎の前の叫びが

聞こえるけれど、

夢歩きの名を歌えば、

愛の歌のつぶやきも聞こえます。

 

私たちは道で出会い、

また別れていくだけなのでしょうか?

それとも私たちの精神、

心、故郷は

結ばれているのでしょうか?

 

 

7の月12夜☽伴侶を探す

人は常に愛を、所属する先を、慈愛に満ちた関係を、承認を、接触を、純粋な思いやりを求めています。こうした人間的な欲求はどんな人種、民族、性的嗜好、性別でも同じです。ただ、そうした関係を望むなら、まず調和をこそ求めなければなりません。人生の巡りの山や谷を共に歩き、信頼で結ばれた仲間になる相手を見つけるのは、そんなにたやすいことではありません。私の長老はこうした特別な人を自分の分身、アザーハーフと呼びます。

 

自分の内側を見て他人から学ぶ勇気が私たちにあれば、どんな関係も私たち自身について教え、調和や一体性に反してもがく自分の性格の一部を癒すすべを与えてくれます。最も個人的な意味で、自分の分身、アザーハーフとひとつになるとき、生の創造的なエネルギーが発散されます。

 

愛の力を信じることを学ばせるこの調和は、素晴らしいことを成し遂げる可能性を私たちに与えてくれます。学ぶことは多く、道は遠くても、人は常に調和を追い求めずにはいられません。大いなる神秘はこうした調和が失われた夢ではなく、確かな現実だと気づかせてくれます。この真の愛の夢は、調和への夢を決して否定せず、心の目標を決して失わずにアザーハーフを進んで探す人への恵みです。

 

アザーハーフとは最近でいうとツインソウルとかツインフレームとか呼ばれるものでしょうか。そういう概念が古代インディアンにはすでにあって語り継がれていたし、私は2000年ごろ一度触れたけど訳が分からずスルーして、今やっと自分の実にしているところです。

7の月11夜☽安泰

安泰は、円満な人が宿す内なる安らぎです。祖先はこの恵みの境地を美しい生き方と呼びました。人が世界に安らいでいれば、内なる平和は輝き、その満足ぶりがすべての人にわかります。

 

物質の豊かさが満足の基準のような現代社会でも、物質的に成功が常に安らぎをもたらすわけではないという例をよく見かけます。虚栄が美ではなく、ジュエリーが人の価値を示さず、高慢が人の社会的地位の反映ではないことに多くの人が気づいています。安泰は、自身と人生に安らぎ、裁くことなしに全体との関わりを尊重することで生まれます。

 

安泰は牛のメディス。所有する物にではなく、自分が居ること自体に喜びを見い出すようにと人に教えてくれます。

 

存在する喜びをあなたに感じさせてくれることのリストを作ってみれば、あなたにとっての安泰の境地がどこにあるのか、その真実がわかるかもしれません。